おとんとふたり会議、
山の家『老房子』の屋根瓦について。
今のままでは老房子が崩れるのは時間の問題。
命に関わる真剣な話で、製茶より優先。
おとん『屋根瓦を全部取り替えたい、できればこの冬に』
誰もがそうすべきだと判断するだろう。
しかし、それを現実化するのは容易ではない。
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40年以上昔におとんが建てた老房子。
全ての素材がその時代の自然物でできている、
木、土、草、石。。。
老房子があるおかげで私は
おとんと出会って20年以上
他の農家さんでは作ることのできない
おとんの息子たちでさえ作ることのできない
大自然の環境を利用して作りあげる
代々受け継がれてきた素晴らしい
伝統的な鉄観音茶を飲むことができている。
しかし
古い時代の屋根瓦は近年ダメージが大きく目立ち、
毎年手入れしてきたが、そろそろ限界が・・。
劣化が進み、雨盛りが酷く、
かなり危険な状態になっている。
ヒビやズレ等で雨漏りするだけでなく、
劣化で完全に割れた瓦が家の中に何度か落下している。
今春一度は花餃子の頭上から真横ギリギリに・・・血の気が。
このままでは木の支柱が腐るだけではすまない
誰かが怪我をしたり、老房子ごと崩れて・・・。
その前になんとかしないと・・・。
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最も怖いのは、
土壁に水が浸透している箇所があること。
2階の私が寝ている部屋の外壁側は
しばらく前から水が染みていて叩くとすでに音が違う、
1階の製茶室の片側の壁1箇所からは今回
大雨の日に水と土が流れ出ていて・・・怖かった。
土壁に水が含まる時間が続けば、
土壁が崩れ、家がまるごと崩れる。
土壁を雨水から守っているのが屋根瓦、
その劣化が激しくなっているのだ。
屋根瓦さえ取り替えれば雨漏りが無くなる。
雨漏りさえしなければ丈夫な土壁は当面崩れることなく、
家が崩れる心配もしばらくなくなる。
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近年この辺りでは
老房子が崩れて中にいた人が・・・という話が
現実にいくつも起きている。
実際、近所の老房子が崩れているのもたくさん見ている。
今回も来てすぐの大雨の夜中、
ひとりで滞在中に轟音が鳴り、
おとんの老房子の上方にある空き家の老房子が
崩れたことが分かった。
おとんの老房子は、一般的な老房子に比べると
かなり頑丈に作られている方だが
いかんせん古いので、今春のような大雨が続くと
かなり危険なのは間違いなく、今回の滞在中、
私は連日のように電話で雨漏り状態を報告をし、
おとんは毎日心配していた。
おとん『次の乾期であるこの冬には直したい、
部分的直すのではなく全部取り替えたい』
それがベストだと私も思う。
おかんも親戚達も、同じ意見。
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だがそれを現実にするには、
いろいろと簡単ではない。
まずは、先立つものが相当必要になる。
それから
仮にお金の問題がクリアできたとして、
次はお金で解決できない問題をクリアしなければならない。
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老房子の手入れは、
街の集合住宅のようにはいかない。
住んでいなければ想像つかないことだらけ。
街なら資金さえあれば話は簡単だ、
労働力があり、現代建築なら資材もある。
しかし老房子はそうはいかない、
街とは状況がまるで異なる、
ドアひとつ直すにも街の何倍も時間も費用もかかる。
資金だけで解決できない問題が多い。
日本でイメージするとしたら??
登山でお世話になる山頂の大きな山小屋の大規模修繕??
そんなイメージが近い、、かな。
問題点
・今の時代
・高山
・人里離れた山奥
・過疎化した小さな農村
・集落から離れた山頂付近
・独立した老房子
・現在では作られていない自然素材のみの古い家
・修理できる人が極端に少ない、探し出すのが難しい
・見つかっても呼び寄せるのが難しい
・呼べても完成するまで居てもらうのが難しい
・人や資材等が見つかったとしてもお金が相当かかる
・物価人件費等不安定で結果いくら必要になるのか分からない
・計画や予算組みが難しい
等々。
それはそれは、、、この山に住んでいないと想像できるレベルではない。
ここに20年以上通って製茶をし、
トータルで言えば数年はこの家で生活している私でも
想像しきれないことがほとんどだ。
住んでいない人間には考えもつかずクリアもできない、
そんな問題点が非常に多い。
それでも、なんとかしないと・・・。
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おとんの山の家にいると、常に感じる。
この家は奇跡のようだと、
この家で作るお茶を飲めるのは更なる奇跡だと。
これを維持するのは
ここまでの20年も本当に容易ではなかった、
この先はもっと難しくなっていくのだろう。
今のうちに、なんとかしておかないと・・・。
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ちょっと愚痴。
おとんとの会議中や今回の連日の修理中も、
なかなか進まなかったり良い方法が見つからなかったり
解決するどころか問題が次々に増えていったりして、
うまくいかなかったりすると時々行き詰まって
思わず
「日本だったらなぁ、、、」とか
「安渓(街)だったらなぁ、、、」とか
考えても仕方のない解決法を想像してしまった。
それがない環境だからこそ存在している老房子なのに、、、ね。
街人のアイディア口にしたってここでは何のプラスにもならないぞッ!
と自分を何度もたしなめた。
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いつも感じるんだ。
この家がこの時代に現役で存在していること自体が奇跡だが、
そんなすごい奇跡とご縁があった人生も、また奇跡だと。
この家で過ごせる時空間、
この家で作った茶葉を飲める人生、
心からプライスレス。
ここで仕上がるお茶は
欲したからって誰もが飲める茶葉ではない。
どうして自分がそれを飲むことができているのか
不思議に感じることがある。
時折、縁ある人は何かに選ばれているのではないか??
そんな風にも感じてしまうくらい、
この家で製茶していると、強く感じるものがある。
品茶会で仲間たちと飲んでいるときも、
同じような感覚を、強く感じる時がある。
時代が進む毎に、この感覚は強く、深くなる。
だからこそ私は、一生懸命になれるのだと思う。
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望みはひとつ。
おとんと私が動けるうちは、
この老房子とともに、現役続行したい。
気のせいか
この家も生きたがっているように感じる。
きっと、おとんが愛している家だからだろう。
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うーん・・・困ったね、おとん、一緒に考えよう。
考えろ、考えろ、考えろ。